いつもいつでもねこ曜日

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zoom RSS とくになにがあったわけでもなく

<<   作成日時 : 2006/11/20 14:26   >>

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学生のころ佛跡をみてまわるために
研修旅行でネパールに行ったときの話しです

とある湖のレストランで自分は魚料理を食べていました
自分の目の前にはガイドの助手さんが座って肉料理(牛らしい)を食べてました
その助手さんが自分に言うのです
「自分は牛は食べるけど、魚は食べない
 牛は一つの命でたくさんお人が食べられるけど
 魚はひとり分にしかならないから」
という風に言われたのです
さて、あなたならどうこたえますか?
それともどうおもいますか?

まぁコレについて昨日書いた話を作っていく予定です
ほとんど完成してますがね

このことについて
いろんな意見を聞きたいなー
(話のネタにできるし

さてエルーフを育ててました
画像

レンジ3です
レンジ3⇒2へはAP25
2⇒1へはAP30必要なのであと55でレンジ1ですね
ガンバろーおー

さて遺跡探索中に変わったの発見
画像

ういてますねぇ
地形を変えたわけじゃないんですが

画像

タヌキがクマに倒されてました
全国のたぬきさん、くまに注意してくださいね

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コメント(5件)

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どれほど大きくても、逆にどれほど小さくても
一つの命という重みは変わらない
牛の命の重さは幾人で背負えるが、魚の命は自分一人でしか背負えない
考えてみれば、辛いことですよね
小魚などでは、多くの命を一度に背負ってしまうわけですから
だから私たちは、食べ物として出てきた彼らに対し、
感謝と哀悼の意味をこめて「いただきます」と手を合わせる
命の重みは、忘れてはなりませんよね
アルファリア
2006/11/21 04:07
姉さんと意見としては似てるでしょうか・・・
1つの命の重みに差をつけることは人間のエゴであると思います。
私としては、植物にだって命はあるのだろうし、そのような
食物の循環の中でしか私たちは生きることができませんから、
生きるために必要以上の命を奪わないこと、奪ったものを
無駄にしないこと、が必要であるかと思いました。
人間だけの視点ではミクロな考え方しかできませんけども、ね・・

最近たまり場は、熊、多くてたぬきは近寄れなさそうですね
ラスリン
2006/11/21 11:05
>アルねーさん
ねーさんの考え方は助手さんの考え方と一緒みたいですね
そう「いただきます」という言葉は
「あたたの尊い命をいただかせてもらいます」ということです
感謝を心を忘れてはいけないですね

>りんちゃん
自分の考え方はりんちゃんと似てるね
そう命の重みに差をつけないというのは大事です
魚と牛の命が平等であるという考え方は
命を比べている行為になっています
平等という考え方は本当は不平等なんですよね

奪ったものを無駄にしないことはとても大切です
フォックス
2006/11/21 17:28
遅レスですが・・・
助手さんの言ってることはあくまでも人間の立場から
見た場合であり、牛や魚からすれば一つしかない命を
奪われることに変わりはないのだから助手さんが正し
いとは言えないですねぇ。

まぁ人間の立場から見れば犠牲は少なくなるのも真実
ではありますが。
kou
2006/11/22 04:45
>コウ
客観的な視点で見ることもまた大切ですな
フォックス
2006/11/22 09:48

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